2013年5月23日木曜日

今なお復興とは程遠い福島に行ってきました

2013年4月27日、28日に、民青同盟の東京の学生は福島フィールドワークに行きました。参加した2人の学生の感想を紹介いたします。
 福島ツアーで最も印象に残っているのは、避難区域に指定された南相馬の小高地区や浪江町の光景だった。町に人が誰も居なくなってしまうということが、これ程の荒廃をもたらしてしまうのだということを思い知らされた。
もちろん、津波や地震で倒壊したり、押し流されてしまったりしたことによる被害も大きい。しかし、大震災から3年が経った今でも、そうした瓦礫が放置し続けられており、田畑は荒れたまま手付かずで、メンテナンスをする人間がいないために震災では壊れなかった施設までもが朽ちていきつつあるのだ。これは明らかに単なる自然災害による被害とは一線を画する被害である。放射能汚染がもたらす被害、「人が住めなくなる」とはこうい うことなのだと、理屈ではなく実感として理解できた。
放射能汚染は町を直接的に壊すことはしない、田畑を押し流したりはしない。しかし、町の持つ本質的な機能、人が暮らす場としての町を根本から破壊するのである。そして、それは自然災害による被害と比べて、ある意味でより悪質な形での被害、放棄という形での荒廃を家や田畑に確実にもたらしているのである。
福島の原子炉は未だに大量の放射線を発し続けており、2号機の中心部からは72Sv/hという機械ですら近付くことの出来ない高さの線量が検出されており、内部の様子は未だに良く分かっていない。そして、大量の汚染水を今も生みだし続け、制御とは程遠い状況にあり、事故原因の究明も進んでいない。終わりの見えない事故処理と、その間にも着々と進んでいく町の荒廃、置き去りのままの被災者たち。
私はこうした被害がもう二度と起きないで欲しいと切に望んでいる。それを真に普遍的に可能にするのは全原発の廃炉しかないだろう。そして、何よりも大切なのは被災者たちへの支援を一刻も早く拡充していくことだ。被災者を置き去りにしたままの復興も、震災・原発事故の検証もあり得ない。その為に何が出来るか、何をすべきで、何を言うべきか、考え行動することを続けていきたいと思う。  (工学部4年)
 福島にフィールドワークに行き、現地で活動している議員の方々やツアーに参加した方々のお話を聞いたこと、そして実際に南相馬市や仮設住宅の現状を見て回った感想を書きたいと思います。
1日目の講演では原発の事故処理や放射線等による副次的被害、賠償問題などの原発事故と福島の現状、また現地の人々の苦難や共産党の活動について話を聞きました。私が特に印象に残ったのは「収束宣言」を出した行政や東電の責任問題でした。特に原発自体を再評価する姿勢の必要性を強く感じました。国は原発再稼働の方針を決定していますが、今実際に原発被害による放射線処理の困難さに直面しています。私が特に困難さを思ったのが現地民の被災者の方々は自分の自宅の物さえ持ち出すことができないそうです。それは「目に見えない」放射線の危険があるからだそうです。それほど管理が特に一般人には難しいものなのです。さらには農作物への風評も含めた被害、土地回復の困難さなどの予測し難い問題がたくさんあるのです。今考慮すべきリスク問題は多く浮上しているのです。このような問題を早々に方針を決定してしまう思慮のなさにこそ問題があり、政府への信頼感のなさを形作っているのではないかと感じました。
二日目は南相馬市をバスで周り、その後仮設住宅を訪問しました。震災の被害の大きさを改めて自覚させられる1日でした。人が全くいない住宅地とガレキ等の処理は進んでおり何もない平野が広がる海岸に近い地域を周り、とても人が住んでいた場所があったと思えませんでした。放射線被害があり海水が浸水してる土地を見て復興にかかる手間や費用を想像し愕然としました。復興費として出される費用は適切なのか、私たちはどれほどの援助をしなければならないのかといった合意を国民として作っていかなければならないと感じましたが、実際には私たちは被災地の現状を知りません。私たちそれぞれが被災地の情報をきちんと知り、「思いやり」の気持ちが反映されるような社会にしていかなければならないと思いました。今回のツアーは現地に行くことで震災と原発という大きな問題に対し真剣に取り組み、よく考えるよい機会となりました。
(経済学部2年)

0 件のコメント:

コメントを投稿